河合優実・主演ドラマ「神の子はつぶやく」で描かれる宗教2世 

NHKスペシャルドラマ「神の子はつぶやく」が11月3日NHK総合で放送されました。独特な表現力とミステリアスな目つきで実力派の個性派女優、河合優実さんが主演です。

今回は宗教がテーマの難しい作品。母親役に田中麗奈さん、父親役には森山未來さん。

河合優実・主演ドラマ「神の子はつぶやく」あらすじ(ネタバレ)

不器用な生き方の母親が宗教団体に入会したことをきっかけに娘2人も「神の子」として当然のように宗教と共に生きていた。父親は自身の借金が原因で、家族が信仰に生きていることを理解し、一歩引いたところから家族をささえる立場にいる。

学校では友人たちから疎外された生活を送る中、日曜日の礼拝や活動などが生活の第一優先とされる。そんな折、父親が病に倒れ生死をさまようが、病院に残したまま母親は娘たちを連れて礼拝へと向かう。

父親が亡くなってしまうところから、長女木下遥(河合優実)は神様第一優先に疑問を持ちはじめ、母親と口論になり家を飛び出す。偶然知り合った男性と関係を持ち、夜の世界で働くことになる。客に誘われたSMバーで緊縛を観て、心が揺らぐ。自らを縄で縛ってもらい、神に許しを請う。

ひょんなことから妹・木下祈(根本真陽)が姉を見つけ再開することに。神様を信じるか信じないかという話をし、母のいる家へと帰る。そして家族は再開するのだが・・・。

河合優実・主演ドラマ「神の子はつぶやく」田中麗奈が演じる、宗教の入り口

ドラマ「神の子はつぶやく」では、母親・田中麗奈が貧しさに耐えられず、偶然出会った同級生に誘われて宗教団体の集会に参加します。不器用な生き方の女性だったので、次女を身ごもっている自分を責めてしまっていたようです。貧しいのに子供を産んでいいものか…と。

集会では宣教師からそのままの貴方でいいのです、と受け入れてもらい、子供たちに幸せな人生を送ってもらえる、と光を見出します。

人は苦しい時に、手を差し伸べてもらうことによって、心をゆだねてしまうものですね。この苦しい時に誰と出会うか、によって宗教にはまってしまうかそうではないか、の分岐点なのかもしれません。

個人的には宗教を否定しません。信仰はそれぞれ自由ですし、人が信じているものを否定するなど私にはできません。宗教だけではなく、様々なことで「信じるものは救われる」と思うこともあります。

それと、ひとりではない、仲間がいる、ということはとても心強いことですよね。貧しさ、などは物質的なものであって、心が豊かであれば人は幸せを感じるのではないでしょうか。それがたまたま宗教団体だったのではないでしょうか。

河合優実・主演ドラマ「神の子はつぶやく」に出てくる『サタンの誘惑』とは?

最近、宗教団体のことがよく取り上げられていますが『サタン』というワードをよく聞きます。俗世界のことを表しているのだと思います。この世は欲にまみれ悪に染まっている、という観念からだと思います。ある意味、その通りの部分もあると思います。

実は私も若かりし頃、ひょんなことから集会(?)のようなところに連れていかれ、いろんな説明を受けたことがあります。簡単に言えば「私たちと一緒のサークル活動に参加すれば、あなたも幸せになります!」と。その時は宗教団体とは思いませんでした。

その頃の私はかなり尖っていて、あーいえばこう言う(そんなフレーズの宗教家の方もいらっしゃいましたね)タイプで、そんなサークルに入らなくても幸せです、などと数々と反論してしまい、その中の方がヒートアップされ「私たちはあなたのような人をサタン!と呼びます!」と言われ追い出されました。

何十年も経った今になってこのフレーズをたくさん聞くことになり、あーやっぱり宗教団体だったんだなと気が付きました。

あの時、あの団体に入信していたら果たして今よりも幸せだったのでしょうか。『サタン』に誘われることもなく、失敗せずに人生を歩めたのでしょうか。もちろんそれはわかりません。

しかし、失敗することで学ぶことはたくさんありました。失敗を楽しむことも人生の醍醐味かもしれません。

河合優実・主演ドラマ「神の子はつぶやく」で宗教2世を考える

生まれたころから宗教が第一優先の家庭に育ち、それが当たり前と思って生きてきた人を責めることも否定することもできません。しかし、ドラマでもキーワードだった「自分で決めること」はとても大切な部分ではないでしょうか。

ドラマの中でも、俗世界とは距離を置く生活を強いられますが、それは情報を入れないようにするためなのかな?と思ってしまいます。

現代社会で情報を遮断することはとても難しいことです。それゆえ、生まれながらの宗教2世の方も疑問を持ち始めるのではないでしょうか。そしていろんなことを自分で決断されるのではないでしょうか。

第一優先が宗教活動になるがために出来る弊害が大きな疑問点です。ドラマの中では、過労死に近い状態で倒れてしまう父親へ目が向けられていませんでした。子供が学校で友人から疎外されていることや弁当をひとりで食べていることに母親は気が付いていないのです。

悲しい事件でしたが、安倍晋三元首相を襲撃した犯人は事件の加害者であり、母親がのめりこんでしまった宗教の被害者でもあります。詳しいことは知りませんが、犯人の母親の第一優先も「宗教 」だったのかもしれません。

河合優実・主演ドラマ「神の子はつぶやく」で呪縛と許し

NHKドラマでは過激なシーンだな、と思ったのが「緊縛」です。主人公・遥(河合優実)が家出をして夜の世界で出会う緊縛と緊縛師がとても印象的でした。

主人公・遥(河合優実)が自ら望んで縛られ、「神様ごめんなさい、私は許されない罪を犯してしまいました。」と泣き崩れるシーンでは観ているこちらも涙が出てきました。

緊縛師がその表情から全てを読み取ったかの如く「よく生きていたね、大丈夫だよ、許されるんだよ。」と縄をほどいていく様子は、生まれてからずっと宗教に縛られてきた主人公・遥(河合優実さん)を縄に例えたような美しいシーンでした。

とても深いテーマで、人それぞれとらえ方が違うと思いますが、宗教でなくても家族の考え方や教育・環境によって縛られているような感覚は誰にでもあるのではないでしょうか。

例えば自分のことで思えば悪戯にちょっと悪いことに手を出してみようかなと思っていると親の顔が浮かんだものでした。馬の手綱だな、と思ったことがあります。暴れ馬が、さあ暴れよう!とすると、手綱をひかれ制御される。やめよう、と決断するのは自分自身ではあるのですが。その手綱を疎ましく思うこともありながら…。

逆の場合もあります。例えば今よく取り上げられている「教育虐待」。親が望む職業や学校を押し付けられ、親は偏差値や合格させたい大学の数値ばかりが気になり、最も大切な本人の意思、その先の職業に就くための意義などがあやふやなまま、ひたすら机上の学習ばかりをすることになる子供たち。

まとめ

後半のシーンで印象に残ったシーンがあります。主人公・遥(河合優実)が妹・祈(根本真陽)に海辺で「初めて集会に行ったとき、お母さんが今まで見たことがない笑顔になった、だから神様がいたらいいなって思った。」と。

妹から強いられ、無理やり母のいる家へ帰り対峙します。どうして入信したのかと問われた母親が「あなた達に幸せな人生を送って欲しかったから」「本当に愛していたから」と。

子供達は母親が笑顔でいることが一番の喜びであり、幸せを感じるのだと思います。そして親も子供たちの幸せを願っているのです。

些細な歯車が狂うをことで、大切なものを見失い、あらぬ方向へ進んでしまうこともありますよね。

宗教がテーマのドラマでしたが、個人の意見としては「家族の愛」が主題のことのように感じました。

 

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